先週の水曜の夕方に「師匠が死んだ」という報を受けてから、ちょうど一週間が経った。
兄弟子や弟弟子やいろいろなところに電話をかけまくり、電話を受けまくり、いろいろな場所を駆けずり回って、その合間に稽古をしたり高座にも上がったり、打ち上げで酒を飲んだり、ワイドショーやら追悼特番、週刊誌やスポーツ紙をチェックしたり・・・と、とにかくまぁ嵐のような流れに身を任せていたら、いつの間にか一週間が過ぎていた。
その間、古い友やらほとんど知らない人やら、いろいろなかたからお悔やみと励ましのメールを頂戴した。
(まだほとんど返事が出来ていないんです、スミマセン。とても嬉しく読ませていただいています)
不思議というのかなんというのか、この一週間のあいだ、実はまだ一滴も涙を流していない。
誤解されるとイヤだけれど、むしろこの一週間、結構何度も笑ってすらいる。
もちろん、悲しくないわけではない。
憧れぬいた末に入門をした師匠なのだから、死んでしまったことが悲しくないはずがない。
肉体の一部を力ずくでもぎ取られたような、これまで味わったことの無い大きな喪失感はたしかにある。
きっと人間の脳はよく出来ていて、悲しみがいっぺんにドッとあふれ出して堤防が決壊してしまわないよう、リミッターのような機能がついているのだろう。
ここ数日は生活が慌ただしすぎて、じっくり泣くための時間的余裕が無い、ということもある。
いずれすこし落ち着いたころに、ガクンと欝がやってくるのかも知れない。
こないかもしれない。
とにかくそんなワケで、談修はひとまず生きてます。
ご心配いただいている皆様、本当にありがとうございます。
この一週間、何度も頭に浮かんだ言葉。
『談志の弟子でよかった。立川流の一員でよかった。』
show must go on。
とにかく、今は踊り続けなければならない。
多くの皆様はご承知かと思いますが、師匠・立川談志が永眠いたしましたこと、ここにご報告させていただきます。
今はまだなんというか、何が起きたのかよくわからないというか、現実感覚が無いとでも言うのか、とにかくまあ例えるのが難しい心境です。
何しろワタクシも、今日(23日)知らされたばかりなものですから。
でもこのわずかの間に、大勢のかたが心配やお悔やみのメールをくださいました。
本当にありがとうございます。
返事をするまでにはもしかしたら少し時間がかかってしまうかもわかりませんが、とても勇気づけられております。
取り急ぎ、弟子の端くれであるワタクシから、皆様へのご報告でございました。
乱筆・乱文、ひとえにご容赦くだされたく。
落ち着いたら、また何か書かせていただくかもしれません。
談修 拝
ブログを書くのを怠っていたら、あっちゅう間にひと月半が経ってしまいました。
皆様、お元気でしたか。
とりあえず、談修は生きております。
ブログも、ちょっとずつ書いていこうと思います。
写真は、今日の夕立が上がった後の雲。
われわれ芸人や役者の世界に、「板の上で死ねたら本望」という言い回しがある。
「命を懸けた高座」なんて言いかたもする。
しかし、実際に高座や舞台の上で命を落とすなんてことは、ほとんど無いと言っていいだろう。
野垂れ死にや孤独死はあっても、落語家が高座の上で死んだという話はついぞ聞いたことがない。
俺は時々、自分はつくづく安全な商売についたもんだなあと考えることがある。
落語家は、自分の命も観客の命も、危険にさらすことが無い。
(せいぜい、つまらない落語を演ってお客を退屈させる程度だ。)
一方では、人命にかかわる職業というのも世の中には沢山ある。
自分の生命や身体を損なってしまいかねない職業(高所作業員や消防士)、
相手(客)の命や健康に大きく関わる職業(医者や運転手)。
日々のプレッシャーは、大変なモノだと思う。
こういう仕事に就いている人が居てくれるおかげで社会が成り立っていることを、「俺にはとても務まらない」という畏敬の念も含め、忘れないようにしたい。
そう考えると、「板の上で死ねたら本望」なんてことを軽々しく言うのも失礼な気さえする。
ゆうべ、ある有名なプロレスラーが、リングの上で命を落とした。
プロレスをよく知らない俺がこんなことを書くのはおこがましいけれど。
心より、ご冥福をお祈りいたします。