先週の水曜の夕方に「師匠が死んだ」という報を受けてから、ちょうど一週間が経った。
兄弟子や弟弟子やいろいろなところに電話をかけまくり、電話を受けまくり、いろいろな場所を駆けずり回って、その合間に稽古をしたり高座にも上がったり、打ち上げで酒を飲んだり、ワイドショーやら追悼特番、週刊誌やスポーツ紙をチェックしたり・・・と、とにかくまぁ嵐のような流れに身を任せていたら、いつの間にか一週間が過ぎていた。
その間、古い友やらほとんど知らない人やら、いろいろなかたからお悔やみと励ましのメールを頂戴した。
(まだほとんど返事が出来ていないんです、スミマセン。とても嬉しく読ませていただいています)
不思議というのかなんというのか、この一週間のあいだ、実はまだ一滴も涙を流していない。
誤解されるとイヤだけれど、むしろこの一週間、結構何度も笑ってすらいる。
もちろん、悲しくないわけではない。
憧れぬいた末に入門をした師匠なのだから、死んでしまったことが悲しくないはずがない。
肉体の一部を力ずくでもぎ取られたような、これまで味わったことの無い大きな喪失感はたしかにある。
きっと人間の脳はよく出来ていて、悲しみがいっぺんにドッとあふれ出して堤防が決壊してしまわないよう、リミッターのような機能がついているのだろう。
ここ数日は生活が慌ただしすぎて、じっくり泣くための時間的余裕が無い、ということもある。
いずれすこし落ち着いたころに、ガクンと欝がやってくるのかも知れない。
こないかもしれない。
とにかくそんなワケで、談修はひとまず生きてます。
ご心配いただいている皆様、本当にありがとうございます。
この一週間、何度も頭に浮かんだ言葉。
『談志の弟子でよかった。立川流の一員でよかった。』
show must go on。
とにかく、今は踊り続けなければならない。